kamadango blog

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ダサいとかカッコいいとかについて

昨日ブックスペース栄和堂で打ち合わせがあり、大船駅から歩いて向かっていた。 英和堂は湘南モノレール沿いにある。 なのでモノレールを見失わないように行けば、それは着くだろうという算段。 地図を見ないで歩くのは心地よく、 小雨降るなか、黙々と歩き「ダサい」について考えていた。

wikipediaダサい項目の類似語は面白い。 「ダサい」の類義語としては「いも」「いも臭い」「いもっぽい」「ださださ」「へこい」「へぼい」「ポテトチック」などがあり... ダサい - Wikipedia 「へこい」と「ポテトチック」は初見だった。

そんなダサいなんだけど、 「キレイ」は自然に対しても思うのに、 ダサいって自然に対しては思わないのが不思議。 人や人工物、人を想起させるものに対して思う。

一般的なダサいと、自分が思うダサいにも違いがある。

こういうのって社会にはたくさんある。 面白い・つまらない、かわいい・ぶさいく、やさしい・きびしい、とかとか。 線引きが主観と客観によって違うのに、言葉としてある程度定義されているもの。 日常生活にふんだんに発生する感情。 こういうのを捉えやすくしたいなと考えていた。

温度計思い浮かべると捉えやすい

ダサいは「状態を表す言葉」こう考えると腑に落ちた。 温度計で30℃を指していたら「暑い」っていうのに似ている。 ダサいとかっこいいも同じようにつながっていて、 温度計のような繋がった棒の中の状態を指す言葉だとすると捉えやすくなった。

断絶されていない

磁石のN極とS極は一本の磁石の先にあって、断絶はされていない。 つながっているというのが大事。

時間によって変わる

バイオリズムの上げ下げが時間によって変わるように、 ダサいと感じる状態のエリアは時間によって変わる。 主観的なものも、社会的なものも。 暑い状態になれれば、それは暑くはなくなる。 優しい状態になれれば、それを優しいと思わなくなる。

何をダサいと思うのかを考える上で、 「状態」という枠組みで捉えると、とても考えやすくなったのでよかった。